2025年シーズン、中日ドラゴンズのほぼ全試合を見ました。
干支一周分、12年ほどまともに見ていなかったのにです。
自分でも、ちょっと驚いています。
物心ついたときにはドラゴンズファンでした。
1970年代、テレビでは毎日のように巨人戦が中継されていて、九州出身の父親は晩酌をしながら巨人を応援してました。
当時はテレビが家に1台は普通で、チャンネル権のない子供にとって、野球は見たい番組(アニメ)の”敵”でした
何をきっかけに野球を受け入れたのか覚えていません。
ただ、当時好きな色が「青」だったのが理由で、ドラゴンズを好きになったことだけははっきり覚えています。
しかも住んでいたのは、愛知県。
父親が巨人ファンであろうが関係なく、ドラゴンズファンとして立派に(?)成長したのは言うまでもありません。
少年時代のドラゴンズの印象は、とにかく弱い。
優勝争いを期待するようなことはなかった気がします。
ただ、何連敗もするけど何連勝もする、ファンをワクワクさせるチームでした。
ところが、1987年、ある男の登場でチームが生まれ変わり、ファンの見る目もガラッと変わります。
燃える男・星野仙一監督の誕生です。
初年度はリーグ2位、翌1988年にはリーグ制覇しました。
星野監督が中日で指揮を執ったのは11シーズン。
うちリーグ優勝は2回だけでしたが、強烈に印象に残るチームでした。
実は、優勝を決めた2試合とも球場で観戦しています。なんと奥さんも。
1988年のナゴヤ球場は他人同士、1999年の神宮球場は生後10ヶ月の息子と3人での観戦でした。
はい、息子は千葉で育ちましたが、もちろん筋金入りのドラゴンズファンです。(笑)
息子は2番のユニフォーム、娘は6番のユニフォームを着て、よく球場に出かけました。
アライバコンビ時代のドラゴンズは本当に強かった。
私は星野監督も大好きですが、それ以上に落合博満監督の采配が大好きでした。
とにかく強かった。
8シーズン率いて、全てAクラスでクライマックスシリーズ進出。
リーグ優勝4回、日本一が1回。
もう、少年時代に万年Bクラスだったチームとは思えない成績です。
ところが、2011年にリーグ優勝を果たしながら落合監督は解任されます。
理由は「強くても観客が入らない」。
今考えても、信じられない理由です。
それは球団運営側の責任ではないのか。
翌年は高木守道監督が就任。
この人、中日に貢献した名選手には違いないのですが、私の眼には、本当につまらない野球をする人にしか映りません。
第1次星野政権の後に監督したのもこの人。
球団が依頼したのであって、本人に非はないのですが、私にとっては憎むべき対象。
2012年はリーグ2位の成績でしたが、見ていて本当につまらない試合が多く、2013年のシーズン途中で、プロ野球中継を見るのをやめました。
息子が中学で別のスポーツを始めたことも、きっと影響していると思います。
その後も
「開幕戦だし今年は見てみるか!」
「松坂が来てくれたぞ!」
「立浪監督誕生だ!」
と、何度か戻ろうとしましたが、相変わらずつまらない野球にしか見えず、そして知らない選手が増えていき、気付けば干支が1周していました。(笑)
そして2025年、井上一樹監督の誕生。
スター選手でもなかった井上が監督することに驚きました。
でも、だからこそ面白い野球をしてくれるのではないか。
何と言っても星野・落合両名監督の采配を肌で感じている選手です。
そう思い、こちらも今度こそ本腰を入れるべくスカパーに加入しました。
セミリタイアして、試合開始から観られる環境になったのも大きかったと思います。
気付けば2025年シーズンのほぼ全試合を見ていました。
自分ではどうすることも出来ないのに、応援するチームの勝ち負けで、あんなに毎日一喜一憂出来るって幸せだなぁって思います。
負けの方が多いので、嫌な思いをしている方が圧倒的に多いんですけどね(泣)
正直、2025年の後半は井上監督の采配にイライラすることはありました。
また、どこかで「見るのやめた」となるかもしれません。
ですが、20年近くぶりにファンクラブにも入会しました。
2026年もリーグ優勝を信じてドラゴンズを応援するつもりです。
この10年ちょっと、ずーっとBクラスでもチームを応援し続けた筋金入りのファンからみれば、私はただの出戻りのエセファンかもしれません。
どうか、今年はちょくちょく球場にも顔を出しますので、優しく受け入れてください。(笑)
